型にはめることの矛盾
こんばんは、@hrgr_Ktaです。
先週は家庭内で、今週は仕事で忙しくてなかなかダーツを投げられません。
先週は家庭内で、今週は仕事で忙しくてなかなかダーツを投げられません。
ここ最近ぼちぼち調子が良く、安定して投げられている感じがしています。
ただ、これまで作っていた決まりごとを若干無視していたりもします。
フォロースルーをチョップにしたり、リリースを早くしたり、などです。
ただ、これまで作っていた決まりごとを若干無視していたりもします。
フォロースルーをチョップにしたり、リリースを早くしたり、などです。
残念ながら型にはめようとすればするほど、入らなくなりました。
ダーツを飛ばしてターゲットに刺す。
そのために必要だと感じたのは、トップを作ってしっかり力を乗せることです。
そのために手が変な形になっても、それは仕方ないのかもと割り切りました。
そのために必要だと感じたのは、トップを作ってしっかり力を乗せることです。
そのために手が変な形になっても、それは仕方ないのかもと割り切りました。
たぶん端から見ると綺麗とは言えないフォームで、それなりに投げられています。
結局ダーツにとって大事なのは、いかに力を矢に伝えられるか、です。
ASUKAダーツの五十嵐さんが言っていることに、自然とたどり着きました。
決めごとを作り、それに当てはめるように投げている理由は何なのでしょう。
これまでの成功体験や理論から導き出される自分が理想とするフォームを目指し、
それを再現するために作られたものかと思います。
つまり、最終的には結果が伴っていないといけないはずです。
それを再現するために作られたものかと思います。
つまり、最終的には結果が伴っていないといけないはずです。
私が感じたのはこの手段が目的になってしまっているのではないかという矛盾でした。
私は綺麗なフォームを作るために投げているのではありません。
私は綺麗なフォームを作るために投げているのではありません。
ダーツを飛ばしてターゲットに刺す、これが一番大事なはずです。
なんとなく入ってしまうのであれば、どうして入るのかをそこから分析して、
それを型として取り込んだほうが早いのかもしれません。
決めごとは自分の中から出てくるものであって、当てはめるものではありません。
ということをここ最近よく考えています。
本当はきちんと型にはまった投げ方をしているのがいいと思うのですが。
もう少し悩んで、また気付いたら改めてエントリを書いてみたいと思います。